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蜂蜜業の前は酒造業だった?

明治時代末期から昭和初期にかけ、多くの職人を抱えた酒造業時代がありました。

詳しい資料等、殆どなく、この写真があるのみですが、はちみつ屋さんの前は、お酒作っていた場所なんです。

しかし、この真ん中の赤ん坊(はちみつ屋初代)を抱えた人、初代の父親 松本虎次が若くして他界したことにより状況は変わりました。

当時の風習では、女性が家督を次ぐことはなく、旧憲法(大日本帝国憲法)でも認められていませんでした。

家督を継ぐ長男(松本博信)も国の為にと志願兵として兵隊に。

やむなく他の職人が引き継ぐも、時代は戦争の影が色濃くなり、その他、ほとんどの職人が戦地に向かうことになったのと、酒の製造販売権利がなくなったことが重なり、酒造業は廃業とならざるを得なかったのです。

おそらくは昭和元年前後の写真。真ん中で抱きかかえられえているのが蜂蜜屋初代. 松本 博信(推測)

戦後、何もなかった時代に始めた初代

幸い、会津は米軍による空襲や攻撃は一切なく、家も残ってはいたものの、残った女たちが戦時中の大変な時代を生き残るためにいくつかあった酒蔵を売り払い、現金に変え生き抜いていました。

終戦後、戦地からやっとの思いで日本に帰ってきた松本博信は、会津に戻り、何もない時代にどう生き延びるかを考えます。

蔵も少なくては酒造りも難しい。そして本当に何もない時代。

終戦直後、この『本当に何もない占領下の日本』で何をすべきかを必死に考えひとつの結論に至ります。

『甘いものだったら皆が笑顔になる。』

しかし、ここは東北は会津。サトウキビは育たない。そんな時、ある情報を耳にします。

会津から会津坂下に向かう途中にある高久という広大な土地で養蜂業を営んでいる方がいる。

その情報を頼りに、その方を訪ね、蜂を売ってほしいことを伝え、手解きを受けながらも養蜂業に力をいれます。

やがて弟たちも加わり、4兄弟中3人が養蜂業に汗を流すようになります。

そして初代の想いは実を結び、たった2~3年ほどで会津で蜂蜜といえば松本という程、規模は大きくなり、蜂蜜を通じ、大きく貢献していくことになります。

                     初代 松本 博信

若かりし頃の初代. 松本 博信とダットサン

 広大な場所に置かれた沢山の巣箱。会津という以外、場所は不明。

トラックにまたがって移動も、当時は道路交通法違反ではなかったのか?

仕事の合間のひとコマか。当時の古き良き時代がうかがい知れます。

 創業当時に作られた金看板。現在も店内に飾ってあります。

昭和25年頃の店舗兼住まい酒蔵を住まいにしていました。

この時代の屋号は『松本養蜂場』でした。

昭和50年から平成4年まではこのような作りでした。酒蔵を増改築した店舗兼の住まいでした。

今現在の店舗内です。ここで You Tube の撮影もしています。

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