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初代当主 松本博信

会津で、はちみつと言えば『松本』を作った男。

会津で、はちみつと言えば『松本』を作った男。

それが私の祖父、松本博信である。

私が小学4年の時に他界してしまい、何かを教わったことはあまりなかった。

多くの人がそうであるように、私も皆様と同じように「祖父」という感覚だった。

そう。あの出来事を経験するまでは。

 

私は18歳で東京に出て、ある意味での社会勉強をしていた。

ある時、バイト先の居酒屋で思いがけない事を経験しました。

ある男性10人くらいの団体のお客様がいらっしゃったんですが、その方々の話し方が、本当に懐かしいほどの会津弁丸出しの方々だったんです。

いい感じに酔い、楽しく過ごしていました。

私はどうにも抑えられなくなり、『会津の方々ですよね?僕も会津なんです。』って言ったら、物凄く喜んでくれて『おい!会津の人間が働いてるぞ!』って言って、大盛り上りになったんです。

 

この方々は、「東京に住む会津出身の会」みたいな感じで、おじさんというよりは、お爺さんに近い方々でした。

そうかそうかと笑顔で受け応えてくださったのですが、私の胸元の『松本』と書いてあるネームを見た途端、一瞬目を疑うかのように見直し、そして聞くのです。

『もしかして、はちみつ屋の松本か?』

僕は少し驚きながらも、『はい。』と答えるとその人の顔つきが一変!

『もしかして、博信(先代)さんの家か?お孫さんか?』と言われ、なんで爺さんを知ってるんだと思いながらも、『…はい』と答えました。

 

『松本さんの、博信さんのお孫さんだぞ、おい!』この一言で全員こっちを向く!

僕は何が何だかわからなくなり『???』。

次の瞬間、『おおおおー!』と叫ぶ人、ビックリする人、目が点になる人。

様々だったが、この方々は全員、僕の家と先代の松本博信を知っていた。

握手さえ求められ、最初は酔っぱらいの遊びだと思ったが、その後の話し方や対応の変化が明らかに違かった。

 

私も、この瞬間から、自分の祖父である先代の事に非常に興味を持ち始めたことは言うまでもありませんでした。

 

祖父が作り上げた、『会津で蜂蜜と言えば松本』は、東京のど真ん中でも話題になるほどでした。

一体どれほどの苦労をしてきたのかと思うと想像もできません。

その土台の元、今の僕たちが生業として生きていけてるのは、本当に心の底から感謝しなければいけないことだと思っています。

先代の気持ちと、その時代を支えあって生き抜いてきた会津の方々に、敬意を込めて、今日も一生懸命に仕事に向き合いたいと思います。

 

 松本純弥

 

 

松本養蜂場 金看板
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