直径長男としての反発と覚悟。

そして、風の時代へ

三代目店主と次期四代目

幼少の頃より『お前はこの家督を継ぐ長男なんだからな』と祖母から厳しくしつけられた。そんな思いは微塵もなく、はちみつ屋などやるものかと思いながら学生時代を過ごした。そして、自分は自分の仕事、ビジネスを持つと勝手に決めていた。

その道のりは決して平たんではなかった。

時を経て、2011年3月11日。

地獄の鬼が怒りを剥き出しにしたかのような恐ろしく長い揺れは甚大な被害を及ぼし、果ては人間が手を染めてはいけなかったであろう『核』を制御不能にし大爆発を起こさせた。

そこから先の事は正直つらくて未だに身震いがするほどで書くことすら怖くなる。

トラウマそのものだ。

地獄の鬼が制御不能にした『核』はやがて『風評被害』という人間が作り出した恐ろしい言霊(ことだま)に代わり、日本中...いや、世界中を駆け巡った。

その煽りがこの店に到達するまでに、そう時間は掛からなかった。

全く売れない

 

数か月もの間、一個も売れない。その地獄のような毎日は、まるで嘘のようにしーんと静まり返った外の世界と真逆の情景だった。原因を作った東電から金をもらいながらの店と生活の維持。

生業をどうすればいいかすら考えること自体が愚かなようにも思えるほど、それは『人間の生活』から大きくかけ離れた、まさに本物の生き地獄だった。

 

お客さまが僕たちを作り、成長させてくださった

 

2002年から生命保険の個人代理店を営んできた僕は、このどうにも納得ができない状況を打破すべく、二代目にひと暴れさせてほしいことを嘆願し、それまで一切使わなかったインターネット、SNSでの宣伝、ビジネス戦略に没頭することになる。

当然その間も、生命保険代理店としての責務も果たしつつ、とにかく僕は風のようにどこにでも行っては松本はちみつ家を多くの人たちに知ってもらう事に専念し続けた。

慣れ親しんだ自分流の生命保険の売り方をはちみつ屋にも導入し、『売らない方式』を徹底して続けた。その代わりに『知ってもらう』だけにフォーカスし、更には震災前は県外発送や配達が多かったものを『地元密着型』に販路を180度変えた。

そしてどんなに老舗でも、売っている人間が誰だかわからないようでは購入することには繋がらないであろうという、これもまた生命保険販売のやり方を駆使し、松本はちみつ家ではなく、私個人『松本純弥』を広めていった。

やがて知られるようになると、略されて『マツジュン』とか、私自身ロックバンドもやっていて、バンドでの名前が『MJ』だったこともあり、『マツジュンとこのはちみつ』とか『MJのはちみつ』なんていう風に、お客さまが色々なあだ名やニックネームではちみつを購入してくれるようになっていった。

これは今現在も全く変わらず、そのことを僕は楽しませていただいている所です。

そして極めつけが、やり方も何もわからないYou Tubで始めた『はちみつチャンネル』だった。

当初は『こんにちは。松本はちみつ家です』と私が映って始まった動画でしたが、サポートで手伝ってくれていた当時4歳の息子 松本 航(次期四代目)が勝手に混ざりだし、果てはすべて自分だけが映ってしまうという予想もしていなかったことが起こり、その動画だけでも数百本は公開しております。

はちみつチャンネルという名前も、撮影中に息子が突然言った言葉で、以降はちみつチャンネルという名前で登録しなおし、現在に至ります。

当然の如く、私の出番がなくなってしまったことは言うまでもありません(笑)

その動画も皆さまに喜んでもらえて、息子は知らぬ間に『はちみつボーイ』と呼ばれて、地元では大人気キャラクターにまで変貌してしまった。

当時通っていた小学校では、はちみつボーイを知らない児童はいないと言われるまでに、それはものすごい勢いで会津を駆け巡った。

また、息子の動画を見た新規のお客さまがご来店なさった時に、スマホを取り出し『この子に会いに来ました』なんて言う事が何度もあり、本当に驚きの毎日でした。

 

『風の時代』

諦めないで挑戦し続ける

震災後、二代目に『ひと暴れさせてほしい』と嘆願したときは正直、何をどうしていいかわからなかった。そもそも僕は、はちみつ屋ではなく保険屋だった上に、跡継ぎの長男でありながら、はちみつの『はの字も知らない』でいきなり始めた超ド素人の無謀な挑戦だった。今やれと言われたら、絶対にやらない(笑)

あの時は、生きるを必死に模索し続けていただけだったのかも知れない。

とにかく、必死だった。。

震災後で資金もないに等しく、はっきり言えばマイナス。

吹けば飛ぶか倒れるかの超弱小個人店だった。

だけど僕は絶対に諦めなかった。毎日何か起き続けた。嫌な思いも沢山させてもらった。

けれどその度に、絶対に負けないと自分に言い聞かせてきた。

保険屋の僕がちょっとずつ、長男だった祖父(先代)からの意思を自然と自ら学び感じていた。

直径の長男としての覚悟が違和感なく自然と自分の中に宿り始めた瞬間だった。

2011年から始めたということもあって、知識も何もない本当に駆け出したばかりの、この業界では若い方になる本物中の小僧。

かたや同業者さまは何年何十年と会津の地で営み続けていた大先輩。

当然その差は歴然だった。だけどそんなところに目を向けることは一切しなかった。

僕は自らの道を切り開くことを決意し、そんな気持ちの仲間が集まる場所に足を向け、時間を費やし、学び、交流し、時には遊び、一人一人のお客さまと目線を同じにし、その姿勢を崩さずに今までやってこれました。

だけどそれは、松本はちみつ家を知り、支え続けてくださったお客さまがあったからこそ。

だから今、本当に大きな声で言えるんです。

『ありがとうございます!!』

右を見ても左を見てもありがとうございますという最大限の『感謝』ばかりです。

2011年から始めたはちみつ業も10年を超え、そろそろ小僧じゃなくなってきたかなと自分では思っています。

だけど、初心を忘れず、これからも皆さまから見える存在であり続けていきたいと思っております。

​応援と感謝を忘れず、世の為人の為、ちょっとだけ自分の為に...。

 

今後とも、松本はちみつ家・はちみつチャンネルどっとこむを、どうぞよろしくお願いいたします。

2022年10月吉日

松本純弥

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